この本の下記のページには、裁判を行う上で当事者が肝に銘じておくべき極めて重要な心構えが記されている。
これは弁護士の立場で書いたものであるが、かつて弁護士を頼んだ経験のある私から見ても同感である。
裁判は、自分で動いて証拠を得なければ良い結果にはならない。
「法律事務所は証拠を探す態勢にない」(P314~315)
私は、大学出たての若い男を一人雇って、彼を自分の片腕にしたいと育てたことがあった。
ところが、あまりに仕事がきつすぎて、ようやく仕事ができるようになってきたかなと思った3年目で辞めてしまった。
新しい人間を入れたのだけれども、これがつかいものにならなくて、ほんとに弱っている。
私はなにも、自分の仕事を彼に投げようと思ったわけではない。
訴訟に勝つための最も重要なポイントは、探偵事務所的な仕事にある。証拠を探してくるというのが、まさしくそれだ。
弁護士がいくら、「法律はこうなっています、ああなっています」と言ったって、裁判官は「ふざけるな」と思うだけである。
「法、律、的、な、判、断、は自分がするのだから、余計なことを言うな」ということだ。
「汝は事実を語れ、我は法を語らん」という格言が、ローマ時代からあるくらいだ。
要は、生まの事実、依頼人にとって有利な事実を、証拠を添えて主張してあげることが、弁護士が裁判においてできる最も有用なことなのである。
だいたいの弁護士は、それが不得意だ。
お行儀のいい弁護士だと、役所のデータを調べて証拠として使いたいと思ったときに、なんと、「ちょっと裁判で使いたいので」と堂々と言ってしまう。
役所のほうは、規則と縄張り根性の権化のような連中だから、「それはダメです。本人のプライバシーに関わる資料は出せない」ということで駄目になるに決まっている。
尾行はノウハウがないから難しいことなのだが、相手の住所がわかっていて、そこへ今晩いけば必ずや何事かが起こるということがわかっている時に、張り込ませるということはできる。
一般市民である依頼人には、そのへんがよく理解できていない。
そのことを非難するわけではないのだが、弁護士が裁判に関わる最重要な部分というのは、じつはそういう生まの事実の部分なのだ。
ところが、依頼人は、裁判というのはすべて法律だと思っている。
くどいようだが、生まの事実を裁判所に持っていくのが、われわれの本当の仕事なのだ。
依頼人は、「あとはすべて、先生にお任せします」と丸投げするのも当然だとは思うが、全部をわれわれに投げられても、本当のことを言うと困る。
そういった意味で、たとえ弁護士が代理人としてついている事件でも、本人が頑張ってやらないと、多くの場合はいい結果が望めない。